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|まいにち|うまみ日記|

福島 2012

今日の更新、書こうかどうしようか迷ったのですが、このブログには嘘偽りのない今の私のお話を綴ろうと思っているので、載せることにします。

連休中を利用して、日帰りで福島に行って来ました。目的は被災地を実際に自分の目で見るために。見るだけ…とは、という賛否両論はあると思いますが。

今回訪問したのは、先日警戒区域が解除された福島県南相馬市の小高地区から北上し、宮城県の塩竈市までです。相馬市には名残の桜が美しく咲き乱れ、春を告げる鶯が何もなかったかのように鳴いていました。この看板の少し前では、手持ちのガイガーカウンターが1マイクロシーベルトを超えました。


3.11の映像や原発の映像を繰り返しテレビで見て、実際に自分も震度5の地震を体感したのですけれど、頭では分かっていても体感しないと理解できない事のほうが多い気がして。本来ならば募金や現地でのボランティアに回りたかったのですけれど、小さな子供達を抱えての私自身が出来ることは微々たるもので。…とずっと葛藤を抱えていました。

実際に津波の被害にあった場所に入って、まず感じたのは不自然な「何もなさ」。もともと田園地帯が続く場所ではあるものの、田園だけでは説明のつかない広大な場所の光景を見て、心が動揺しました。この地で一体何があったのかと。あまりにも広大な静かな光景が目の前に広がります。

下の写真は小高地区にて。

実は写真に見えている場所は、全て震災前には陸地だったところです。カーナビには地図や目印が書いてあるものの、実際に行ってみると何もない。海が静かに揺れているだけでした。そこには人のいる気配が全く無くて、「何もない」がずっと。自然のチカラとは言え、本当に怖かった。

先日まで警戒区域だったということもあり、田んぼの真中やそこかしこに津波の影響による車が、ポツンポツンと見えています。まるで、走ってきてそこに止めたかのように見えますが、あまりに不自然な場所にあって始めて人の手によるものではないと気づきます。

津波と瓦礫というものの、全てに生活の痕跡があって、テレビではあれほどまでにすごかった瓦礫は今は殆どヒトの手によって片付けられていて、何事もなかったんじゃないかと思ってしまうような錯覚に襲われ、でも本当に「何もない」がずっと続いていて。。

被害にあった場所に残る痕跡は、ガードレールが経し曲がった場所。そして、道路標識がぐにゃりと曲がっているところ。何もなさ。

怖い。

怖い。怖い。


本当にただそれだけを強く感じました。
目の前にあるものを見ても、一体どれだけのチカラがこの場所で渦巻いていたのかは想像がつきません。言葉には出来ないほどの辛い思いと悲しみが、ただ広がる場所でした。

今回感じたこと。それは「私は生きている」ということ。この時代を生きているという事実。
そして、自分から次の世代へは、この悲しみを繰り返してはいけないということ。今回は津波・原発という被害でしたが、これからの時代はどんな災害がいつ何時あってもおかしくないということ。

生きるチカラをつけて、地球の一部として大地とともに正しく生きるということ。
これが一番大事なこと。そう思います。

決して、忘れません。

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